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逝けない自慰行為・・・

乳首の自慰をしても、
頭の中の自慰をしても、

逝く寸前までは何度もいくのに、
なぜか最後の一線を越えることが出来ません。

初めてお電話をした後に、
主様からの許可を頂いて逝き果ててから、
一人での自慰で逝くことができなくなってしまったのです。

主様からの許可がないと逝けない体になってしまったようです。

主様の支配です。

だけど・・・
外出乳首縛りの時は、主様が与えて下さった痛みに耐え切れず、
許可もないのに逝ってしまいました。
主様を感じると呆気なく逝ってしまうようです。

生い立ち⑩・・・

主とお別れをした私。
いろいろと相談していた方と、主従関係を結びました。
この関係は3年間続きました。

今までのSMとは少し違いました。

体だけではなく心まで満たされていくのを感じました。

初めてマゾである事を嬉しいと思うことが出来ました。

大好きで、初めて恋をしたと思いました。

ちょっとした、行き違い。
私の我が儘。
私の身勝手さ。
私の覚悟のなさ。
私の未熟さ。

お別れした原因はきっと私です。
私が従として出来ていなかったからです。

家庭を壊しかけ、のめり込み…
いろんな後悔がたくさん残りました。

だから、もう絶対に戻らないと決めたのに…

1年ちょっとが経って、私は再びSMの世界に戻ってきました。
結局、この世界がないと生きられないのかもしれません。

主様に出逢いました。

続く・・・

生い立ち➈・・・

結婚をした私ですが、旦那さんは仕事が忙しくあまり構ってもらえません。
当時はまだ仕事をしていなかった私は、1日の殆どをひとりで過ごしていました。

性生活も、付き合っている頃から淡白だったそれは変わることなく、同じベッドで寝ていても抱かれることのない毎日。抱かれてもほんの数十分で終わってしまう行為。自分自身に演技をしたこともありました。
私は心も体も、なんとなく満たされない日々を過ごしていました。

そんなときに思い出すのはSMのこと。
それも満たされないと思いつつ、今度こそは、理想のお相手に出逢えるのではないかと思い、いけないことと分かりながら、また足を踏み入れたのです。

お相手は18歳年上の方。SMの経験も長く、いろいろと教えて頂けるのではないかと密かな期待を持ちつつ関係が始まりました。
縛りとスパンキングが好きだった彼は、毎回私をいろいろな方法で縛り、お尻を叩きました。
そこには完全な支配はなく、私の中には罪悪感だけが膨らんでいきました。

何かが違うと思い始めた頃、出逢ったのが次の主となる方でした。

悩んでいることをその時の主に伝えました。
返ってきた答えは
「そんな風に育てた覚えはない」

お別れを決意しました。

続く・・・

生い立ち➇・・・

SMから離れた私は、普通の恋愛をしました。
躾も調教も支配もない世界。

次第に私は、物足りなさを感じてきました。
束縛や支配が欲しくなり、SMの世界に戻りました。

戻ったからといって、私が求める世界があるわけではなく…

私が求めるものは、完全な支配、束縛。
だけど、現実は体を求められることばかりで、心を求めたり見せたりすると、関係は終わりました。

そんなとき私は決まって、
自分に対する嫌悪感、罪悪感、虚しさに襲われ、
Mである自分が大嫌いになり、この世からいなくなってしまいたいと思うのです。

求めては離れての繰り返しです。
疲れました。
優しさだけが欲しくなりました。

だから、今の旦那さんと結婚をしました。

続く・・・

生い立ち⑦・・・

最初の主とは、半年くらいでお別れをしました。

あの頃の私は、何かに追われるようにSMをもとめていました。
だけど、心を見ることは出来ず、プレイにばかり目がいって・・・男の人を求めていました。
何が欲しかったのかもわからなくなっていました。

2人目の主は、少し年上の方でした。
多分、楽しい記憶もあったと思いますが、嫌な記憶の方が残っています。

主様は本当に思い出したくないことは、思い出さなくてもいいと言われましたが、嫌な思いも、嫌な私も、全てお見せしようと決め、お話致します。

彼は、主としての経験があまりなかったのかも知れません。
ベルトを鞭代わりにした鞭打ちとか、家の近くでの露出とか、 ロープでの縛りとか…
友達が心配するような痣をたくさん作られましたが、その時はそれだけが、彼のものである証だと思っていました。
彼を満足させることも出来なくて、
気に入らないことがあると、死んじゃうかもしれないって思う程、頭も体も蹴られて、
彼の顔色ばかり伺って、
彼が喜ぶ言葉を気持ちもないのに口にしました。
彼から連絡があると怖くて仕方がなかったです。
お断りすることなんて出来なくて、怖がりながら会っていました。
少しのことで怒られて、駄目だっていつも言われていました。
彼の為に、何もできなかった。本当に駄目だったんです。
これがSMだと思っていたのかは思い出せませんが、
友達の彼氏に露出をしていることを知られて、Mだって知られて、犯されて…
誰にも言えませんでした。もちろん彼にもです。

この頃、私は、自傷行為をしていました。
リスカをするほどの勇気はなかったから、自分の爪で、体中を血が滲む程、引っ掻いていました。
誰かに気づいて欲しかっただけでした。

私の考えていたものは、理想でしかなく、そんなものはないのかもしれないと思いました。
SMの世界から、離れました。

続く・・・

生い立ち⑥・・・

19歳の時、この世界に出会いました。
出会ったというよりも、自分から求めました。

SMサイトでお相手を探しました。
最初のお相手は既婚者の方でした。
あまり思い出せないけれど、
その時から、多分、私の求めていたものは変わっていなくて、愛されたいと、変わらない愛が欲しいと願っていました。
その為なら、何でもしようと思っていました。
SMの世界なら、それがあると思っていました。

ただ、SMのことも調教のことも全く知らず、相手を見極めることも、マゾとして従う礼儀も、何も知りませんでした。

ただの行為としてのSMだったと思います。

自分が変わってしまうというか、自分がなくなってしまうようで、怖かったのを覚えています。
マゾとしての幸せは、まだ感じることは出来ませんでした。

続く・・・

生い立ち⑤・・・

初体験を終えた私は、彼との関係が曖昧なまま、体の関係が続きました。

初めてのキスも、初めてのsexも、初めてのフェラチオも、彼が教えてくれました。
今にして思えば、とてもノーマルなものでした。
だけど、何も知らない17歳にとっては刺激的なものでした。

半年くらい関係が続きましたが、少しずつ連絡が少なくなり、連絡が取れなくなり、自然消滅です。
お付き合いをしていたわけでもないので、自然消滅も何もないのかも知れませんが、『捨てられた…』という想いが生まれました。

高校を卒業した私は進学のため、実家を出て一人暮らしを始めました。
勉強は程々に、誰かのものになりたいという想いが強くなりました。

気になる男性は年上の方ばかり。ですが、内気な性格で自分からは言い出せず、想いは遂げられないまま、一度きりの関係を持ったこともありました。
私は19歳になっていました。

19歳の私が出逢ったもの。
この世界に足を踏み入れました。

続く・・・

生い立ち④・・・

高校生になった私は、ミニスカにルーズソックスという、
当時の女子高生の定番に漏れることなく、スカートは短めでした。

共学校でしたが、私が選んだ科は女子クラス。
陸上部のマネージャーをしていたので、他のクラスの男の子や他の学校の男の子と出逢う機会もありましたが、
いじめられた影響か、同い年くらいの男の子が苦手でした。だから彼氏もいなく、だけど何故か女の子の友達に抱きつかれる毎日…

それは今も治らずに、年下の男の子は苦手です。
仕事では、年上の男性に注意ばかりしていますが…
人見知りもあって、多分、とても愛想のない、冷たい人間だと思われています。

そんな私が2年生の秋に出逢った年上の男性。
多分、今の私くらいの年齢の方だったと思います。
お付き合いをしていたわけではないけれど、私は大好きでした。
だから、「何もしないから…」という言葉を信じラブホへ入りました。

初めての性行為。
痛みを感じたのはほんの一瞬で、陰部から汁を垂らし感じていました。

帰りの車の中で彼に言われた言葉。
「死んでしまいそうな顔をしている。」
そんなに、酷い顔だったんでしょうか。
今でもよく、わかりません。

続く・・・

生い立ち➂・・・

中●●になった頃、自慰を覚えました。
父の部屋にエッチなビデオがたくさんあって、
私は家に一人の時はそれを見ながら自慰をしていました。

その頃から、苛められるようなSMっぽいものが大好きでした。
そのビデオの中で父は、知らない女の人とsexをしていました。
sexの間に2人でビデオを見ていてそこに映っていたのは、幼い私でした。
父が母を叩いたあの時となぜか繋がってしまいました。

今はもう、その事に対して特に何も感じませんが、
その頃は、大嫌いになったと言うか、私のものじゃなくなったというか、不思議な感情を抱いていました。

だからなのか、その頃から、学校の先生とかすごく年上の方が好きでした。
年上の方の包容力とか優しさとか厳しさとかを求めたんだと思います。

続く・・・

生い立ち➁・・・

時代劇の女の人にソワソワしていた頃、
父が母の頭を叩くのを見ました。それが最初で最後だったけど、怖かったです。
多分、母が父に確信をついたことを言ったのか、父は感情に任せてだったと思います。

後々、分かったことですが、その頃、浮気をしていました。

しょうがくせいになった私は、新しい場所とか新しい人が苦手で、それは今も残っています。
5年生の時に、私は一つ上の男の子のことが好きでした。
だけど、その子を中心にしたグループに私はいじめられるようになりました。
6年生になって、一旦、おさまったものの、私が育ったのは小さな町です。
ちゅうがくこうは一つしかなく、中●●になって、また、いじめに遭いました。
友だちは少ないけど、いたので、それなりの学校生活を送っていました。

このお話をするのは、今も苦手です。・・・

続く・・・

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diijdg1pf92y

Author:diijdg1pf92y
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